雑記ブログにリニューアルするよ!っていう宣言
久しぶりにブログを更新します!
実はこのブログを辞めようかなと思っていました。
というのも、もともとは教育についてアウトプットしたいというのがブログを始めた動機でした。
しかし、教育現場から離れている間にこれからやりたいことを考えた結果、やっぱり引き続き教育については考えを発信していきたいけれどもそれだけではなく、私の好きなことを自由にジャンル問わず綴っていきたいと思ったのです。
それはなぜかというと、このブログには、読んだ人に笑顔になってほしい、ちょっとでも誰かの役に立てたら嬉しい、という想いもこめていたからです。
そういうわけで、新しいブログを開設しようかな、と思ったのですが、ここに綴ってきたことも私の思考の軌跡だから、このままの形で続けることにしました。これからは雑記ブログということです。
私は文章を書くのが好きです。
人生を物語として捉えたり、哲学的なことを考えたり、そうして見えてきたことを言語化して形に残すのが好きなのです。
だからこれからは、教育というテーマだけに縛られず、純粋に書くことを楽しみたいと思います。
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今までの人生で、おもしろいこともつらいこともたくさんありました。
私は概ねやりたいことをやって生きてきました。
でも、心のどこかで不安な気持ちがありました。こんなフラフラ生きていていいのかなあって。
そんなとき友人にこう言われました。
「みきてぃは人生のコミックだね!」と。
私は誰かの教科書になれるような、お手本になれるような、順風満帆な人生の歩み方はしていません。
別に真似しようとは思わない、でも、その生き方はすごく面白い!見ていて楽しいよ!ということらしいのです。
私はハッとしました。
自分の人生を肯定して、いい意味で笑ってくれる人がいる。
それだけで、私は私らしく生きていいって思えました。
そして、ずっとコンプレックスだった自分の人生が、誰かを元気づけることもあるんだなと、嬉しくなったのです。
だから私は、書きます。
日々の生活の中で、思ったこと、感じたこと。
自由に、気まぐれに、書きます。
それが結果的に、過去の私と同じようなつらい思いをしている人や、そうじゃない人にも、良い影響を与えられたら嬉しいです。
というわけで、
これから、ゆるく気まぐれに人生のコミックをここに書き残していきます!
という宣言でした。
教員界の暗いニュース〜今、私たちにできることを考える①〜
最近、教員いじめ問題が報道されていますね。
私の今の気持ちは、悲しい、苦しい、何か力になりたい、です。
いじめがあるこ自体は、おそらく、今に始まった事ではないと思います。
しかし今回ニュースに取り上げられたことで、今、世間の関心が教員の世界に向いてきています。
これは、ある意味チャンスではないかと思っています。
たった1年とはいえ、小学校教員として働いていた身としては、どうしても他人事とは思えないのです。
今こそ、動かなきゃいけないと、強く思います。
世間からの風あたりはますます強くなるでしょう。
でも、だからこそ、できることがあるはずです。
何ができるか…その前に、今日は、自分なりに問題点を考えてみました。
問題と思われる現状
・いじめが起きている。それも小学校で。しかも教員間。
・それで心を痛めている若手教員がいる。
・いじめをしてしまうことになってしまった環境があること。
・現状を把握していながらも、いじめをどうにもできなかったという現実。
・そもそもそんな不幸せな空気があり、滞っている職員室。
・二次災害として、この事実に悲しんだりショックを受けたりする子どもたち、保護者。
これって、誰一人として幸せとは思えません。
被害者はもちろんつらいはずです。
子どもや保護者はショックでしょう。
加害者だって、いじめは誰も幸せにしないと、分かってはいるでしょう。
第三者の教員は?少なくとも、いじめが起こっている環境に居て、いい気はしないと思います。
それなのにいじめが起こってしまっているということが、私は大問題だと思います。
では、いじめがある環境が最善ではないと分かっているのに、どうしていじめが起こり、継続し、被害をもたらしてしまったのでしょうか。
いじめの要因には、人と、環境が、あると思います。
人
いじめる教員…中核教員。
いじめられる教員…若手教員。
第三者の教員
管理職…校内でのあらゆることの決定権や指導権がある。
教育委員会…より権力がある。
環境
職員室という職場…そもそも学校という場所が結構閉鎖的だと思う。
仕事量の多さ…生活に支障をきたすレベルなのでは?
もし初任の自分が、いじめの起こっている職員室に居たとして、何かアクションが起こせるだろうか。
はっきり言って無理だと思います。被害者ならただ耐えるしかないし、第三者ならスルーするしかなさそう。
というか、あの超多忙かつ殺伐とした職員室という空間で、いじめがあろうとそんなことまで首を突っ込む余地は、無いと思う。ましてやプライベートなんて…。中堅やベテランの先生だって、結局膨大な仕事を抱えているわけなので、同じなんじゃないかな。
そこで管理職の出番となるわけですが、そんな悠長に問題解決に努める余裕があるようには見えない。どれくらいの重さで問題視していたかということや、どこまで現状把握していたかということももちろん関係あるだろうけれど。
じゃあ教育委員会は何をしているんだという話になりますが、あえて言葉を選ばずに書きます。個人的に教育委員会はあまりあてにならないイメージがあります。というのも、実際、病休の代理講師を手配してくれない、ということがありました(本当はなんとかしたい気持ちはあるでしょうし、慢性的な人手不足で、仕方ないということを前提として)。もっと人手が必要な所があるから、うちには回せないのだと。しかし、蓋を開けてみれば、どこの学校もだいたいそのようなことを言われている模様。依然、人は足りない。そして驚くのが、先生ではない教員免許保持者や、仕事を探している講師登録者が結構いること。日本の労働人口はどうなっているのかと思ってしまいます。ま、それはさておくとして。
教育委員会の労働状況までは詳しくないのであくまで想像ですが、やはり多忙なのかもしれないですし、余裕がないのかもしれませんね。
加害者だって、いじめなくてもよい状況なら本当はそれが一番いいと思うのではないでしょうか。
それでもいじめてしまう、というか、誰か(今回は若手教員)を著しく傷つけてしまう、この状況は、由々しき事態だと思いませんか。
ここまで書いていて思ったのは、結局のところ教員に世界って、みんな余裕がないし、必死だし、結構ギリギリのラインで生きているのではないかということです。
加害者と被害者の間にきっかけとなる何かがあったのかもしれませんし、周りの対応とかも関係してくるかもしれません。それでも、教員である以上は、こんな悲しい現実、望まないと思うのです。
みんなギリギリいっぱいいっぱいだから、色んなことが悪循環していっていると思います。
しいて誰が悪いかといえば、加害者ということになってしまいます。
ですが、いじめはだめだ、と叫んだところで解決するなら、もうとっくに平和であると思うのです。
解決すべき課題はあげればキリがないですが、とりあえずここまでに記したような教員の余裕のなさをなんとかしたいところです。各々の生活にゆとりがあって、ようやくスタートラインに立てると思うからです。
結局、教員とはいえ、人と人との関わりだから。個人が豊かに生きていなければ、奪い合いや争いが起きて、それは結果的に他者を傷つけることになるから。人と人とが関わりあって生きる以上は、自分で自分を満たす必要があると思います。
そういう意味でも、やはりゆとりを大切に、教員としてならなおさら、各個人が豊かに生きていってほしいです。そういう環境が整えば、いじめや不幸なトラブルも、少しはなくなるのではないでしょうか。
まとまりが悪い文章になってしまいましたが、これが今思っていること、です。
このような問題に対してできることを、これから考えていきたいです。
生きるためか働くためか〜仕事観と人生観〜
12時間×30連勤してみた話
毎日更新を目標に掲げておきながら、早速8日も空いてしまいました…。
というのもここ1週間、8月の30連勤の疲れが一気にきまして、ブログを書く余力がありませんでした。今までお昼休憩の時間に書いていましたが、最近は空き時間はひたすら睡眠にあてていたためです…。
まあせっかくなので、今日は
「1日12時間×30日の労働を終えた感想」
を綴っておきます。
先に結論から言うと、当初の目的はほぼ達成されました。
目的というのは、"他業種で教員と同じくらいの労働条件で働いてみたらどう感じるかを検証すること" です。だからあえて時間、給与(今回はこの2点のみ)が同じくらいかつ他業種の職場を選んだのです。
少々体をはりすぎな気もしますが(笑)
〜感想まとめ〜
・短期かつバイトの身分だからできるのであ って、持続性はなさそう。一時的に稼ぐのはいいけれど、生涯の仕事にはできなさそう。
・20日目あたりから疲れを感じなくなってきた(たぶん身体が麻痺してる。)
・残業代が出るからがんばれる。ていうかがんばれる理由はほぼそれだけかもしれない。
・時給で働いているので、単純に教員より稼ぎがいい。(もちろん一時的なものですし昇給なんかもないので、安定性や将来性があるかは別問題)
・同僚でさえ、口を揃えて しんどい と言う。たしかにそうなんだけど、私はあんまりそう思ったことはなくて、なぜかというと教員時代のライフスタイルが基準だったから…(え、去年と同じようなものじゃん。そっか、これってしんどいんだ…っていう感じ)。30連勤というのは極端な話で、通常期は月8日ほどちゃんと休んでいます。つまり、教員と労働時間がほぼ変わらないわけです。で、教員時代はそれが当たり前だったのです。だって同期も先輩も他校の友達も、みんな同じような労働環境だから。しかもあまり異議を聞いたことがない。
しかし…ここに来て気づいてしまいました。
この労働時間はかなり過酷だということに。
職場の人と話していると、どうやらそのようです。最近になってやっと(?)しんどいと思うようになりましたが、去年に比べたら100倍マシです。
ここまで読むと、不思議に思いませんか?
教員ではない世界で、教員と同じくらい働いている人がいたら、そんなの働きすぎ!ってすぐに分かるんですよ。
でも、教員となると、それがあたりまえの環境になってしまっていて、働きすぎとか、無茶苦茶な労働だってことが、分かりにくくなっているような気がします。
だから知らないうちにがんばりすぎちゃって、あっという間に限界をむかえてしまうのではないかな…と思ったわけです。
おかしいことはおかしいと感じられる自分でありたい。たった1年居ただけなのに、その感覚がなくなりそうでした(それがこわかったのも辞めた理由のひとつ)。おかしいと思ったところで何が変わるわけでもないですが、心の持ちようは健康に影響しますし、仕事の仕方にも関わると思います(ほどよく手を抜く、とか、できない自分を責めすぎない、とか)。
30連勤を終えて分かったことは…
・教員のブラックさ(全てはここに集約される…)
・自分は仕事自体ができなかったりしたくなかったりしたわけではない。教員という職業ゆえの苦しさだった(ここに気づけたおかけで、失っていた自己肯定感を取り戻した)。
・稼げるならがんばれる。残業代は偉大。
・流石にやりすぎた。いくらお金がもらえても、ここまで身を粉にして働く必要はない。人生のうちの短期間ならよいが、これを一生の仕事(ライフスタイル)にするのは嫌。そこまで働きたくない。
今労働にあてている時間の3分の1くらいは、趣味とか、休息とか、友達に会うとか、勉強するとかそういうことに使いたい(そのほうが結果的にコスパもよさそう。長い目でみるとスキルアップや経験や適度な余暇が、仕事の質をあげそうだから。)。欲を言えば2分の1でもいいくらい。
・仕事と切り離された休み、すごく良い。(仕事のことを全く考えずに休める。これは教員じゃなくても、正社員とか役職がつくと話が変わるかも。とりあえず今の段階で。)
・ここまでお金のことばっかり書いているけれど、それなりにやりがいもあるし、楽しいと思うこともある。なによりやってて苦じゃない(これ大事)。単に向き不向きの問題か?それもあるかもしれない…。
あ、教員時代、もちろんやりがいははなまるでした。決して悪いことばっかりだったわけではないのです。語弊なきよう。
他業種で教員と同じくらい働いてみたら、こんな感じでした。
もちろん教員という職業は本当に尊いです。
憧れて、目指す人もいるだろうし、現職でうまくバランスをとって自分なりに折り合いをつけてがんばっている人もいるでしょう(本当に、尊敬します)。私だって、教員の全てを否定したいわけではないのです。
ただ、現実はこんな一面もある。っていう事実。なのです。
ここからは余談ですが、
これから教員になる人には、つらいかもしれないけどもっと現実を知ってもらうべきだと思います。じゃないと、理想と現実のギャップが大きすぎる。
今がんばっている教員の人は、どうかがんばりすぎず、過酷な環境の中子どもたちのために働いていることには誇りをもって、でも1番は、自分を大事にしてほしいです。本当に、働きすぎです。全国の先生方、尊敬とともに、心配です。限界までがんばっちゃダメです。
以上 1日12時間×30連勤を終えた感想 でした!
これからもう少しこの仕事を続けつつ、日々思考をアップデートしていきたいと思います!
雑談力
昔、
雑談力が大事、みたいな本を読んだことがある。
雑談 って、私は苦手。
簡単なように思えて難しくないですか?
天気の話ができればいい、とかそういう内容だった気がする…。
最近になって、雑談の大事さを感じている。
お客様と会話が一言あるだけで、場が和む。
職場の人と雑談をした日は、なんとなく調子がいい。
単に楽しいっていうのもあるかもしれないけど、内容より、言葉を交わすということに意味がある気がする。
話題なんてなんでもよくて、ただ、あなたのことを気にかけていますよ、というメッセージだったり、一緒にがんばろう、という一体感だったりが生まれるのかもしれない。
だから、天気の話が出てできればオッケー、なのか。
コミュケーションが大事とはよく聞くけれど、だからこそ雑談力が必要なのかも。
去年、先生時代は、いろんな先生に声をかけてもらって、それでなんとかがんばれていた。
今度は自分が、声をかける立場になりたい。
豊かな人生とは…
転職してから、4ヶ月が経とうとしている。
退職した次の日。悪夢にうなされることもなく、つらいけど学校に行かなきゃ…という重たい気持ちもなく、実に心地よい目覚めだったことを、今でもはっきりと覚えている。なぜかというと、あまりに感動したからである。
そして先生ではなくなって
私のことを誰も知らない土地に来て
やったことのない仕事に必死に取り組んで
わずかにできた余暇の時間に
ひたすら、
働くこと、豊かな人生、幸せ、について考えていた。
そして気づいたことがある。
私は(一時的に)転居するにあたって、両手に持てるだけの荷物しか持ってこなかった。
1泊用程度のキャリーケース、通勤に使っていたリュックサック、野外活動によく持っていっていたボストンバッグ。
思いのほか全然物が入らない。
そして大半は消耗品だったので、ほんのわずかな物しか持ってきていない。
でも不思議なことに、今のところ物がなくて困ったことはない。しいて言うなら、3足しかない靴下に同時期に穴があいて、しかたなく縫うことになったのが面倒だったくらいだ。
で、今思うこと。
人生において、本当に大切なものなんて、ごくわずかなんだ、ってこと。
というより
心から大切にできるものの量は、限られているのだ。
あたりまえだけれど、物の量が増えればそれだけ管理は煩雑になる。何をどれだけ持っているかすら、分からなくなる。現にそうだった。
でも今この部屋にあるのは
お気に入りのバンドのTシャツ2枚、かわいいくじらのTシャツ1枚、下着3セット、ニンテンドースイッチ(ぷよぷよ)、お気に入りのバンドのCDとライブDVD、好きな小説3冊、薄手のタオル3枚、愛用中のスキンケア用品及び洗面具、ケトル、貴重品、スマホ、もはや相棒のワイヤレスイヤホン、500円で買った腕時計、お気に入りのノート1冊とボールペン1本
おおよそこれだけ。
あと追加したい物があるとすれば、思い出の品。かな。
私が今、大事にしているもの。
大事にしたいもの。
たったこれだけなの?!って、書いていて驚いている。
今までの私の価値観は、
豊か=物や事が溢れていること
今の私の価値観は、
豊か=自分が本当に好きなものや事を少量でも大事にできること
これは物だけじゃないと思う。
人生の大半は仕事に費やすのだから、仕事なにするか問題は重要。仕事も、自分が本当に好きなことを、したい。
今でも時折、教員時代のことを振り返る。
私はたった1年でも、教育に携われたことは誇りに思うし、幸せだった。好きなことだったんだ。先生という仕事。(ただ、向いていなかったな、とは思うし、我慢ならない点も多々あったけれど)
そして、これから何したい?と自分に問うてみるのだ。
好きな事をして生きていきたい。
好きなものに囲まれて生活したい。
好きな事って、何?
やっぱり教育に携わりたい。
もちろん他にもやりたいことはいろいろとあるのだけれど…(世界一周するとか、ギターを弾けるようになるとか、英語ペラペラになるとか、自転車で日本一周するとか)
何でお金を稼ぐか
ってところを突き詰めて考えてみると
教育に関すること
で、自分もハッピーになれて、他の誰かもハッピーになれること。
だなーって思う。
それは、学校の先生かもしれないし、別の何かかもしれない。
まだ答えは分からないけれど
今はとにかく、おもしろそうなことはやってみる!好きなものを厳選して所有し、愛でる!
これに尽きるなぁ
そうやっていろんな角度から攻めて、自分を 好き で埋めていって、
将来的には
好きなことを仕事として生きていきたい
転職して4ヶ月で分かったこと
働くこと
・時給がすべてではないと気づいた
・自分が誇れる仕事をすべきである
・安心して眠れるなどの面も重要
・好きなことを仕事にして自分も周りもハッピーにしたい
豊かな人生
・好きなものや事や人をとことん愛でて生きていくこと。
・豊かさ=物の総量ではない
幸せ
・周りが 好き で溢れていること
(物も人も、仕事も)
好きなものを、自分が管理しきれる分だけ、そしてとことん愛する。
好きなことを、仕事にする。
そういうの、いいなぁ。
こんなことできたらいいな
・先生の業務改善を推し進めたい。
・苦しんでいる若手(1年目とか)の先生の力になりたい。
・いろんな人と出会って、教育や人生について考えを深めたい
など…
ま、何をするにもお金が必要なので、今はアルバイター極めるとするか!資金を貯めながら、やりたいことをもっと具体化していこう。
うまくまとめきれなかった!ので、また思考が整理できたら改めて書こーっと。