学校の文化について思っていること
最近トーチトワリングが話題になっている。
私は、改善すべきはトーチトワリングだけではないし、今に始まったことでもないと思っている。
やけどをするからだめ。
もちろんその通りだ。
でも、学校において危険なものっていっぱいあると思う。トーチトワリングでやけどというのは、非常に分かりやすいから世間でも注目をされている。そういうものは、こうして淘汰されていくけれど、分かりにくいものがまだまだ学校に文化として残っているのではないかな。
去年1年の間だけでも、私の居た学校では、組体操ではピラミッドやタワーなし、高学年のプールは45分で1コマ、プールサイドに水筒持っていく(熱中症対策)、数年後から冬季野外活動の廃止(病院の遠い山奥でけがや病気などのリスクが大きい)…などの動きがあった。
ただでさえ多忙な教員。
人手不足の学校。
リスクのあることをしようとしても、それを見きれるだけの人もいなければ余裕もないんじゃないか。あと、トーチトワリングとかならなおさら、指導者の知識とかも必要だと思うけど、あれもこれもって無理がある部分もある気がする。
それなのに…日常の子どもたちのお世話で手いっぱいなのに、運動会とか、野外活動とか、子どものためだから…!という理由でどんどん教員の負担も増えている。
人が足りないとか、教員のボランティア精神なしでは成り立たないとか、それは教員内では周知の事実なのに、現状はやることが減るどころか増えるばかり…。
それは、昔から少しずつ増えてきたものが、残り続けているからなんじゃないの?
子どものためならなんでも詰め込めばいいの?
先生は自分の時間と労力をいくらでも費やしていいの?
ていうかそれはそもそも本当に子どものためなの?
そういう疑問の目って、先生してるとだんだんもたなくなってくる。私はそれがこわくなって退いたっていう背景もある。
とにかく、こういう現状って、子どもも、先生も、メリットがない気がするな…。
危険なことはもちろんないほうがいい。
だって学校は安全な場所であるべきだもの。
でも、あらゆることを断捨離しなければ危険は減らない。そして、業務改善とやらが進まなければ、先生はどんどん疲弊していく。子どものためと言われていることも、指導者の技量と人数がなければ成り立たないことが多いだろう。今の学校で、どれだけ、そういう技量を高めるための余裕や人材確保源があるのかな…。って思ってしまう。
今回の事件で、傷を負った子どもはとても気の毒だし、事が起こってからでは遅い。だけれど、そうやって世の中に、学校が抱えている問題が表面的にでも出てきたことが、学校を良い方向に変えるきっかけになればいいな、と思う。