学校の外側の子どもたち
私「おはようございます!」
お父さん「○○ちゃん、おはようでしょ?」
小2くらいの娘「…おはよう…ございます…」(ボソッ)
今朝出会った場面です。
私は今接客のお仕事をしています。今朝、このご家庭は挨拶をしなさいという教育方針なんだな。でも普段はしてないのかな?それとも単に人見知りなのかなー?とか色々思いました。
ここに来てから、学校の外側の、家庭内の子どもたちを垣間見る機会が増えました。何も言わずとも自然に履物を前向きに揃える子、おはようと言えばおはようと返してくれる子、ありがとうが素直に言える子…こういう学校外での場所で、そういう姿を見ると、きっとお家でも普段から習慣になっているのだろうな、と思います。おもしろいことに、だいたいそういう子たちのご家族も、自然と同じような振る舞いをしているものなのです。いかに子どもたちが大人の姿を見て成長しているか、を、痛感しました。学校でも、子どもは担任に似るって言いますしね…。現にそうでした。
学校では、挨拶は大事だよ。と教えます。
ありがとうをしっかり言おうね。と教えます。
トイレのスリッパはきちんと揃えましょう。と教えます。
彼らは、学校では、やります(ほとんどの子は)。ていうか(もちろん全員ではないが、)中には先生が見ているところだけで、やるって子もいます。(でもその気持ちはわかるよ…。)
では、学校外では…?
いずれ学校から出たら、社会という枠組みの中で生きていかなければならないのです。私は、挨拶とか、ありがとうが言えるとか、履物を揃えるとかは、最終的には豊かに生きることにつながると思っています(詳しくはここでは省略しますが)。ま、ぶっちゃけできなくても生きてはいけるんだけどね。
学校で教わったことを、実生活に活かして生きていく人もいるでしょう。
極論言うと、学校なんて行かなくても、それ以外の場所で学んだスキルで生きていく人もいるでしょう。
しかし、学校で教わったことと実生活がリンクしなくて、それ以外の場所でも豊かに生きる術を身につけられなかった子たちはどうだろう。
学校で挨拶をしていても、社会でしなければそれは残念だなあと思います。
これはここで嘆いても、どうしようもないことかもしれません。学校の限界というか、学校外のことまでお世話はできませんから…。する必要も本来はないのだろうし。
そこで、家庭教育もとても重要だなぁと思うのです。もちろんそれぞれの教育観がありますから、何が良くて何がだめとは、言えないです。何がいいとか悪いとかはまた別の論点として、学校の外にいる子どもたちの姿を見たら、そこに普段関わっている大人(だいたいはご両親とか、家族でしょう)の姿が重なって見えます。
本当は、責任を放棄せず子育てをしているっていうだけでももう十分で、家庭にあれこれ求めすぎているのかもしれないですが…ただ、子どもは大人をよく見てる。子ども時代のほとんどを一緒に過ごす大人といえば、家族と先生くらいだから、やっぱり言動や振る舞いには気をつけないといけないなぁ。
子育てしている方たちは本当に、大変だと思うし、がんばっていると思います。でも、世間では虐待とか、悲惨なニュースもある。私はそういう残酷な事実が少しでもなくなればいいし、家庭教育の質も(教育というか、家庭環境?親と子の関わりとか…)がもっとよくなって、大人も子どももみんな、豊かな人生を歩めたらなおいいなぁと思っています。
学校の外側の子どもたち。何か支援できることはないかなぁ。どっちかというと、対子どもというよりは、対大人(親)って感じかなぁ。このテーマについてもこれから模索していきたいです。
先生って、素敵だな
離任式で子供からもらったお手紙
・もう先生と音楽の授業できなくなるのさみしいです。大好きだったよ。また一緒に音楽しようね。
・野外活動、先生のおかげでとても楽しかったです。これから悲しいことがあったら、先生の笑顔を思い出して私も笑顔になろうと思います。ありがとうございました。
・先生のクラスで、楽しかったよ。勉強を教えてくれたり、遊んだりしてくれてありがとう。
家で1人で泣きました。当時、本当にどうしようもないくらい自己肯定感は低く、自分に自信がなかった私。
1年間そこに居た意味があったって思えて、すごく嬉しかったのです。ただ1人でも、私の存在が、行動が、関わりが、誰かの心に響いていたと知って、たった1年だったけれど、最後までここでがんばれてよかった、と思いました。
それまでの全てとまではいかないけれど、あらかたのしんどさは、この子たちからのメッセージに救われた。
子供たちの心に何が、どの瞬間に、響いているかなんて、分からない。確かめようがない。答え合わせができないことが、そもそも正解なんてないことが、先生としてしんどい部分のひとつだったな。
そういえば中学校実習に行った時、担当の先生が言っていました。「1000日のうち999日はしんどいよ。だけれど、卒業式のたった1日で、すべてが報われるし、幸せな気持ちになるし、しんどいって分かってるのにまた次の999日をがんばろうって思えるんだよ。」この言葉は、当時の私にとってけっこう衝撃的だった。え…たった1日のために、3年もがんばるの…がんばれるの?!って。
そしてこの言葉を聞いた時、私はこの先生から並々ならぬ覚悟を感じました。この子たちと3年間卒業というゴールに向かって一緒に歩んでいく、という覚悟。普段の生徒との関わりを見ていたから、余計にそんな風に感じました。そういう気持ちも大事なのかもしれないな。
つまり先生としてのやりがい、とか、喜びのひとつは…
・自分が子供たちの伴走者になれること。一緒に成長していける。成長した姿を見ることと、そこに自分が関わったということ。
・プラスになる何かを与えられたことを実感すること。
なのかな。と考えています。
私も、学生時代はそんなことばかり考えていたなあ。人の成長に関われるって、誰かの救いやプラスになれるって、素敵だなぁと夢みていました。
こうしてよいところを挙げてみると、やっぱり先生って素晴らしい職業だな、再認識。
それだけでは生きていけないというのが、世知辛いというか、残念だなあ。
そう、私はこれまでなにかと先生って仕事に対して悲観的に書いているけれど、1番に思っているのは、「先生はめちゃくちゃ素敵な仕事だなぁ」ってことです。だからこそ、厳しい現実に打ちのめされて辞めていく先生(私含め)がいるのは、悲しい。今がんばってる若手の先生も、去年の私と同じように苦しんでる人、いるでしょう。それもやっぱり悲しい。なんで仕事をがんばって、生きるのもつらくなっちゃうのか。もっと、単純に、「楽しい!」の割合が増えて、わくわく元気に働けたらいいのに!
最低3年は経験を積んで…とかはよく聞く話だし、先輩たちをみていると、10年20年と経験を積んで、基本の仕事がができるようになれば少しずつ理想を追求できるようになる…のかもしれないとは思います。1年目で嘆くのは、諦めるのは、甘いのでしょう。
分かっているけれど、でも、でもね、1人でも多くの人が(特に私と同じような境遇の人が)今よりほんのちょっとでもいいから、わくわくできる世の中だといいなぁと願っているのです。だって大人がわくわくしてたら、生き生きしてたら、それが結局子供たちにもよい影響を与えると思うから。
私は、教員のみなさまを尊敬しています。そして日本の教育が、1ミリでもよい方向へ発展していってほしいのです。
自分は学校の先生としてはがんばり続けられなかった。ちょっと違うって思ってしまった。だから、私は違うポジションで、教育界に携わる方法を模索しているって感じです。そのひとつとして、ブログで意見や体験や学びを発信していくことにしました。これからも、学校の外側にいる人の目線で日々教育について学び、発信していこうと思います。
「定額働かせ放題」の現実を知る
教員という仕事に対して疑問をもったみきてぃ。なるべく同じような条件(労働時間とか給与とか)で、あえて教育とは離れた世界で転職しよう!そして外の世界を知ろう!比較しよう!と思い、今はとある場所で派遣で働いています。結論から言うと、今の仕事は、精神的負担が非常にない。皆無と言ってもいい。(現職については、別記事でまた書きますので今回は割愛!)
まずは 転職後のタイムスケジュール を書き出してみました。
6:00 起床
6:30 出勤
11:00〜 休憩
14:30 出勤
22:00 退勤
お風呂
24:00 就寝
1日12時間労働。(日により変動あり)
食事時間は労働時間に含まれております。
休みは月8日程度(厳密には、全日休4日と午前休2日、午後休2日 みたいな感じ)
教員時代、平日は毎日7:30〜19:00学校に居て、家で残業あたりまえ。食事、休憩もないようなもの。もちろん土日も家で仕事してた。他にもね、スポーツ大会の引率やら職員スポーツ交流会やら、行事毎の飲み会やら、なんやかんやで色々と時間を割くことがあるわけです。(語弊なきよう加えると、私は飲み会とかはわりと好きでした。が、負担に感じている若手もけっこういるのが現実…。)
つまりね、先生の労働時間って、1日12時間なんて余裕で超えてるわけですよ。しかも月給制。残業代?そんなものは出ません。「定額働かせ放題」とはよく言ったもので、本当にその通りだと思います。救いはボーナスが出ることと、福利厚生が充実していること。交通費、家賃補助あり。名ばかりの有給休暇も、基本は使えないも同義ですが、夏休みとか、病気したときとかにとりました。その時は助かりました。
で、給与ですが、驚いたのは、額面でほぼ同じだったということです。派遣は時給制です。タイムカードで管理されています。残業分は25%アップとか、そういう感じです。
ボーナスがある分、教員のほうが高いと思いきや、私の今の職場は、家賃水道光熱費食費諸々すべて会社負担。休日に仕事なんてしたことないし…。それらの分を差し引きすると、実は同じくらいなのではないかと思います。
これらの比較を、表にまとめてみました。
そして分かったことは
「時給に換算すると派遣アルバイトと同じかそれ以下」ってこと…。(教員の実勤時間なんて曖昧すぎるので実際に計算はしていません。仮にしたとして、低すぎてショック受けるだけだろうな。苦笑)
もちろんお金が全てではないんです。
それは大前提の上でです。
やりがいとか、喜びとか、何にも変えがたいものはあります。とてもあります。たぶん。
あくまでもある一面を切り取って見ているに過ぎませんし、職種が違うので本来は同じ土俵では比べられないのかもしれません。
でもここで言いたいのは、物理的な時間、肉体労働、精神的疲弊、と引き換えに得るお金が、特別高いわけではないということ。仕事と対価が見合う見合わないの感じ方は人それぞれですが、私個人の意見としては見合ってないんじゃないかと思います。
それを無視して言えば、他業種と比べ待遇はいいほうだとも思っています。それは転職時に再認識しました。同じような条件の仕事って、なかなか見つけられませんでしたから…。
まとめ
・教員は多忙なうえに、低賃金(あくまで個人的見解)。つまり超ハード。鬼ハード。な仕事。
・教員とほぼ同じ条件の仕事でも、精神的苦痛が伴わない仕事もある。その分余裕がある。生き生きしてる(←主観。笑)
疑問に思ったこと
・それなのに教員を続けている人は、きっとお金に変えがたい何かがあるのだろう。それが何か知りたい。あと、自分にとってのそれはなんだろうなー。
・教員の仕事はとにかく大変。なのに子どもたちの前では元気でいるべき存在。だけど、こんな現状では大人も疲れてる、余裕ない人も多いだろう、特に若手…新任…。何か打開策はないかなー。
おわりに
これから、もう少し今の仕事を続けながら、教員の仕事のいいところとか、教員がハードワークの中でも元気にがんばれる方法とかを考えていきたいと思っています。
「教員は多忙」その謎を解く
私が先生をやめた理由
先生を辞めようと思った理由について書く。
結論から言うと、生きることさえ嫌になり、このままでは生きていくこともままならない、と思ったから。あと、次の1年間を最後までがんばれる自信がなかったから。(年度の途中で投げ出すくらいなら年度末に辞めようと思った。)
そして、生きるのを諦めるくらいなら、もう教員は辞めて、教員以外にやりたかったことをやろう。と思い立った。
それらの原因は、当時は、もうとにかく全部!と思っていた。しかし、退職してからの4ヶ月間、自分は特に何が辛かったのか、振り返ってみると、次の5つが思い浮かんだ。
①休みがない… 平日の残業は当たり前。加えて毎日持ち帰り仕事。もちろん土日も。物理的な作業量も膨大だが、何より24時間365日、絶えず仕事のことを考えている生活がつらかった。教員時代のタイムスケジュールは、今後また記していこうと思う。
②子どもたちとの関わり…私は途中から担任をもった。子どもたちは前担任が自分たちの先生だという認識が強い。毎日のように、「○○先生のほうがよかった。」「みきてぃ先生はうちのクラスの先生じゃない。」等言われ、それは自分の技量のなさはもちろん大前提なのだが、それでもやはり子どもたちの正直な反応には心が痛んだ。
③先輩教師との関係…中にはどうしても合わない先生が居て、指導がけっこう精神的苦痛だった。単純に言い方がきつかった(「そんなんじゃ教員としてやっていけないよ」、とか)のと、自分の出来なささは十分承知なのに正論(っぽいこと)を突きつけられ、こんなこともできない自分はだめだ…とどんどん自分を追い込んでしまった。
④疑問を感じるようになった…学校教育そのものに対して、違和感を覚えはじめた。特に担任になってからは、「静かにしなさい。」「体育座りでお話を聞きましょう。」などという毎日の指導が苦痛でしかたなかった。授業中に疑問や興味あることがあれば周りの子と議論したくなるのは学んでいる証拠なのに、一律に静かにしなさいと統制する。人の話をしっかり聞くことが大事なのはそうだけれど、正直、姿勢が多少くずれていても聞いている子は聞いているし、どんなにぴしっと体育座りしていても聞いていない子だっている。日々の指導が、私にとっては「こんなことがしたいわけじゃない。なんでこんなことしなきゃいけないんだろう。」という精神的負担だった。
⑤多忙すぎて本当にやりたい仕事に時間を割けない…教員の仕事は大変煩雑で多岐にわたっている。挙げてもキリがないのだが、事務作業、公務分掌(学校全体でやらなきゃいけない仕事。役割分担が決まっている。)、会議、学年の仕事、行事の準備と片付け、成績処理、掲示物作り、保護者対応…etc。これらは全て子どもたちが帰った後にやる仕事。はっきり言って定時なんてあってないようなもので、時間内に終わるわけがない。
当然こういう全体の仕事や急ぎの仕事が終わってから、ようやく自分の仕事に取りかかれるわけである。本当は、教材研究、授業の準備、学級経営のこと…などに時間を割きたいのに、そんなことをしている時間はほとんどない。休みの日とか平日睡眠を削ってやるしか術はない。でも、休みも平日も毎日激務に疲れ果てており朝も早いので睡眠時間の確保も必要。というふうに、本当にやりたいことは心ゆくまでできないというもどかしさというか、苦しさがあった。こんな生活だったから、休み時間に遊ぶことすらできない私から子どもたちの心は離れていくし、適当にせざるを得ない授業も子どもたちに響かないし、悪循環が悪循環をうんでいた。
特にきつかったのは④と⑤。
大学時代、「こんなクラスにしたいな」「授業はこういうふうにしたいな」などと、理想を描きすぎていて、そのうえ教員という仕事のいい面(授業の楽しさや、子どもたちと関わることの喜びなど)しか知らなくて、あまりに理想が膨らんでいた。
だから、理想と現実のギャップがものすごくあったんだと思う。
さらに①〜⑤のようなストレスが少しずつ積もり、どんどん学校に行くのが憂鬱になってしまった。
あとは単に、慣れない仕事で要領を得ていないとか、一人暮らしが大変だったとか、もともと早起きが苦手だとか、そういうしんどさもあっただろうけど、精神的負担はそんなの比じゃないくらいだったし、それらは社会人1年目ならあるあるなのかな、と、しかたなく思っている。
退職してよかったかという問いには、今はよかったと答えるけれど、当時はものすごく葛藤があって、悩みに悩んだ。できることなら、もう少し続けたい気持ちもあったから。
だからこそ、私は、もし私と同じように苦しんでいる先生がいるなら力になりたいと思っている。このブログがそのはじめの1歩になれば…という気持ちでいっぱいである。